日本における一輪車の簡易史

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● 年表を作ってみました。

ここでは、2冊の本から、著作権も無視して抜粋した、日本における一輪車の発展史をご紹介します。
なんと、一輪車が市民権を得たのは東京オリンピックも遙か過ぎじゃないですか。
こずえちゃんがよく聞くんです。「パパはどうして小さい頃、一輪車に乗らなかったの?」って。
「う〜ん。パパの小さい頃って、一輪車なんか実物を見たことはなかったぞぉ」
と答えてはいますが、そりゃ、無理もないわけです。
ちなみに、私の子供の頃のこの手の分野のヒット商品は、ホッピングじゃないですか?
(フラフープは、私よりもお年の方ですよね)
ホッピングのブームを完全に奪ったのが、一輪車だったようですね。
まぁ、あくまで玩具の世界の話ですけど・・・。
  清水良隆・紺野晃 編 / ニュー・スポーツ百科 ハルペン・ジャック著
/ 誰でも乗れる一輪車の本
1910年 一輪車が、アメリカの曲芸師によって初めて日本に紹介された。しかし、それはサーカスの出し物として扱われ、人並みはずれた軽業的技能と訓練がなければ乗れないものとされていた。 日本曲乗りクラブ会長鈴木義豊氏が、日本初の一輪車を製作。
1967年 当時の国立競技場理事長の前田充明氏が、あるとき競技場の庭で楽しそうに一輪車に乗っていた少女を見て、これこそ楽しく美しく、健康的なスポーツだと感じ入る。彼は、これを日本中に広めようと思い立ち、まず城西大学で正課体育に取り入れる。  
1978年 一輪車愛好団体「日本一輪車クラブ」設立さる。一輪車普及のため、メーカへの一輪車製造についての助言・指導書の作成・講習会の開催・競技会の開催・機関誌の発行などの事業を行い始める。
これらの活動がマスコミなどで大きく報道され、一輪車は次第に普及していく。
同左。
日本一輪車クラブに、ハルペン・ジャック氏会長就任。日本で始めての乗り方の指導書である本書が刊行される。
また、この年より毎年東京にて、全日本一輪車競技大会が開催されるようになる。
1981年 文部省の指導のもと、(財)日本宝くじ協会の助成を得て、「体力つくり推進校」に一輪車が寄贈された。この事業が続き、子供たちが自主的に興味を持って取り組める教材として好評を得、一輪車が全国の小学校に普及する原動力となる。 同左。
日本一輪車クラブ、名称を「日本一輪車協会」と改称。
前田充明氏、会長に就任。
1989年 文部省学習指導要領改正。
「小学校指導書・体育編」第3・4学年の「用具を操作する運動」の中に、竹馬とともに一輪車が例示され、新標準教材品目にも加えられた。このとき以来、全国のほとんどの小学校で用いられるようになる。
同左。
協会、社団法人となる。
1998年 こずえちゃん、一輪車の世界に仲間入り。
現在、全国で一輪車を保有する小学校は、20000校を超え、全小学校数の90%に達している。推定愛好者数100万人超。
日本一輪車協会は全国に85支部を有し、地方開催の大会は、毎年60ヶ所で開催されている。

● 小学校の話が出たついでに

別に悪気で言うわけではないんですけど、ウチの子供たちが通っている浜松市立可美小学校にも、結構一輪車が揃っていると聞いていました。
先日、授業を地域の方々に公開する、参観会のもうちょっと招聘対象を広げたようなイベントがありまして、パパは行ったんです。
気になっていた一輪車の設置状況を見てみると、
  1. 手入れが悪い。パンクしていたり、空気が入っていなかったり、タイヤとチューブがホイールから外れていたり。とにかく泥だらけ・ほこりだらけ。
  2. 何で小学生には大振りな24インチなんか、こんなにたくさん買ったんだろう?
  3. 16インチがない!
プラホイールではなく、ちゃんとした、スポーク式の高価な車種だけに、ちょっと残念でした。
未開地に行って「誰も靴を履いてないから靴は売れない」と言うか「誰も履いてないからビジネスチャンス!」と考えるか。
もう少し、整備技術を身につけたら、こりゃボランティアでもやりますか。
まずは、こずえちゃんの一輪車をあっという間にカンガルータイプにセッティングするようになるところまで、頑張りましょう。
(と、'99年2月現在のパパはこんなことを考えていたのでした・・・・と記録しておこう)

● 事後談

'99年9月、別件で可美小の教頭先生を訪ねました。
「そんなことありませんよ。この春、全部整備し直しましたし、新たに買い足しもしました」とのこと。
教頭先生、ありがとうっ。
と、こっそり一輪車置き場を覗いてみると、買い足したのはプラホイール。まぁ、予算の関係でしょうがないでしょう。
でも、やっぱり、中にはペダルが取れてるなぁ。
なんとかしてあげたいけど・・・これは私の次の課題だな。

語り部社長

'02年8月、卸本町に店を構えるミヤタ工業の卸商、輪栄さんを、松沢さんと訪ねる機会を得ました。
もう70歳近く見える老社長と松沢さんは既知の友人。
この社長氏は、かつて静岡県一輪車連盟の設立に深く関与した人物とのこと。
それで、松沢さんを知っているのですね。
麦茶をもらって、老社長の回顧談をお聞きしました。

輪栄さんが、商売上、ミヤタの一輪車は売れるかなと一輪車教室を開催したのが20年近く前。
ところが、子供を連れてきていた(当時の)ご老人が、「オレも乗れるかな」と言って、乗ってしまったとか。
聞けば、戦前に一度、一輪車ブームというのがあったとか。
ただしその頃は一輪車という製品そのものがなかったため、当時の青年たちは自転車を改造して一輪車に仕立てていた。
自転車だから、タイヤのサイズも大きかった。
今、その辺でスケボーなんかやっている若者がいますが、まさに当時のあんなノリだったそうです。
だから、きっと探せば80代くらいの方だと、かつて自作の一輪車に乗っていた経験を持っている人もいるらしいのです。
これが、一輪車ブームのひとつの波ですね。

戦後、高度成長期を経て、日本は工業社会。
ミヤタ工業も一輪車に目をつけます。
ここで、変なおじさん(?お兄さんだったのか?)が日本に登場したそうです。
その人は一輪車おじさんなのだけど、乗っている一輪車がどう見ても自転車の前輪を取っただけ。
そんなおかしなモノに器用に乗れるということで、ちょっと有名な人だったらしい。
ミヤタはこの人に「ミヤタ工業」と大きく描かれたシャツを着せ、一輪車の普及に全国を回らせた。
全国あちこちで、このおじさんは人気を得たとのこと。
今、このおじさんはどうしていることやら。
日本の一輪車普及のきっかけとなった方だそうです。

社長さんと松沢さんは、ずっと子供たちに一輪車を教えてきたそうで、そんな話に花が咲きました。

「自転車に乗せる教え方も変わったね。今ではまず、乗らずにハンドルを持たせ、路上のコーンでゆっくりスラロームで歩かせる。そうすると、自転車の取り扱い方やブレーキを覚える」
「そうそう。その次は、ペダルもクランクも取った自転車に乗せる。それで足で地面を蹴って乗る。それも慣れたら、やっとペダルのついた自転車に乗る」
「こういう教え方をすると、子供は1日で乗れるようになってしまう。大抵の親は驚くね」
「1週間とか、みんなお子さんにつきあって、荷台を押して練習させた経験を持っている。今は練習のさせ方が科学的になっているから、そんなに時間がかからない」
「補助輪なんか愚の骨頂だね」
「それで、一輪車に乗れる子なら、自転車なんか簡単だと親は思うわけ。ところが、乗れない」
「ほ〜」
「ウチのチームにも昔、一輪車に乗れる子に自転車もと、両方持ってきた親がいたんだけど、その子小1だったかな?結局小3まで乗れなかった」
「なんで?」
「ハンドルがじゃまだってさ」
「なるほど〜」

「今は一輪車の指導方法も良くなった。昔は訳も分からず教えていて、結局乗れない子を作ってしまった苦い経験がある」
「無理矢理腕をつり上げたりした」
「そーそー、それでいいと思っていた。だって当時、一輪車の指導方法なんて、なかった」
「試行錯誤でここまで来た」
「ああいう可哀想な思いはもうさせたくないね」
松沢さんが基礎に厳しいのは、そういう経験を積み重ねてきたからなんですねぇ。
日本の一輪車の創世記を語る人、こりゃまだまだいるだろう。
麦茶、ごちそうさまでした。


● チラリと、一輪車の起源

最初の一輪車?
一輪車の起源は、1869年にいくつかのデザインが発表されていて、どうもそのあたりらしいですね。
画像は、仏マルセイユ地方のルソーによって作られた"bicycle(2輪車)"です。
今はイタリア、ミラノの自転車博物館にあるそうです。

が、こんなデザインが同年にいくつか発表されていますが、この年が一輪車の起源のようですね。
19世紀の残り30年くらいのうちに、色々なプロトタイプが生まれています。




       







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